えんがわさぼう
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(けんなるものはこころつねにとむ)
倹者心常富(僅かな物で満ち足りる事を知っている
慎ましやかな人の心は、いつも豊かである。)

深蒸し茶の功罪 中

 大戦末期に特攻隊を送り出した知覧(鹿児島)などの飛行場の跡地は、
戦後の食料不足を賄う薩摩芋の農地になっていたが、物資の供給が安定し
芋の単価が下がるにつれ収益性の高い茶葉に切り替えられた。
 同じく地形が静岡に似ている三重県内でも果樹園から茶畑への転換が進
んだ。
 以上の3県で現在の国内生産量の3/4を超える。
 そもそも生産量を第一に考えられた品種化だから、同じ土地で同じ品種
は同じ時期に摘み取る。人件費や工場の稼働日も集中する。我の畑も彼の
畑も忙しい日は同じ。ここで統一品種であるヤブキタの摘採日を前後にず
らした品種が欲しくなる。但し、ヤブキタを中心にブレンドしたいから味
や香りに特徴がある品種はNOだ。個性を主張してはダメなのだ。そして
色んな品種改良が進められるようになる。ただ、授粉させて種から育つの
に10年は必要なので兎に角、時間が掛かる。
 さて、この辺りから問題が発生。戦前まで飲料の主役であった茶だが、
戦後には他の飲み物が一気に増えて茶葉が売れなくなってしまう。
 残念な事に消費量と生産量が反比例するようになってきたのだ。けれど
も、高度成長化では機械化が日進月歩だ。戦後、“初もの”の誤解から新
茶は売れるようになったが、一番茶以外の単価が下がって、売れなくなっ
た番茶(番外の下級茶)では経費の捻出が難しい。
 そこで、旨味・香り・甘みの少なくなった渋くて苦い番茶を長時間蒸し
て苦渋味を流し捨てて何とか飲めるように考えた。
 夏過ぎまで育った硬くて色もさえない大きな葉を長時間蒸して乾燥させ
ると、葉の細胞は壊れ、揉めば砕けて粉末状になり、急須を使うたび茶漉
しが目詰まりする。
 急須は、常滑製で職人技の急須でなくても、鋳込(いこ)み(型)で成型し
たものに金属製の網を取り付ければ済む。旨味・香り・甘み・葉の色は添
加すれば良い。何といっても『深蒸し』という名称が高級感を匂わせる。
葉緑素は水溶性でないから、茶碗の中が緑色にならないはずだが、粉末状
の葉が注がれた状態を“きれいな緑茶”と呼び出した。そもそも緑茶の意
味する緑は茶殻の色を指していて、紅茶も同様。
 そして、戦後の濃くて油の多い洋食文化が浸透した時代に、電気ポット
の普及による、茶碗にぬるめで時間をかけて淹れる旨味の茶から、湯のみ
に熱めでさっと時間をかけずに淹す苦く渋い茶が食事中に口内をさっぱり
とさせ、喉に水分補給を担うようになっていたところ、添加物で旨味を感
じる深蒸し茶は高級感を演出し登場した。(昭和45年以降)
 日当たりが良く、葉が育ち過ぎて堅くなる掛川(静岡)で考案された当初
の深蒸し茶は、茶碗の中は緑色ではなく透明感のある山吹色だったそうだ
。残念ながら見たことが無い。美味だったと聞く。