えんがわさぼう
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(きくすいつきはてにあり)
掬水月在手(掬った水に月が写り間近に感じる。手に届かない月が此処に有る。想いは時空を超える。)

 良い茶は岩に生える。唐の時代に記された、茶に関する最古
の書物とされている『茶経(ちゃきょう)』に、“上等の茶は岩
に生える”とある。土でも砂でもないらしい。
 前述したように戦前は、茶・水以外に飲むものが少なかった
。昔の茶葉は何杯も淹せたので、現在の茶葉より経済的で体に
も良かった。
 戦後、飲料が多様化して茶を飲まなくなったところに茶園の
機械化が進んだ。消費量が減少したところに生産量が増加した
訳だ。よって茶の単価が下がった。一番茶・二番茶なら未だし
も、三番茶そして番外の低級な茶である番茶では、人件費どこ
ろか肥料・農薬代が捻出不可能となって来た。
 既に戦後の洋食文化が浸透し、パン・肉・バター等の乳製品
を含む食文化が進み、出汁(だし)を引くような和食文化が廃れ
てきた為、長い年月を掛けて江戸時代に漸(ようや)く完成した
旨味の塊である“玉露”が遠慮されてしまうようになった。
 更に、味の濃く油分の多い食事に対し、巷間に普及し始めた
電気ポットで熱湯を使い、茶を“湯飲み(・・・)”に注いで喉
に流す行為をいつの間にか“茶を飲む”と表現するようになっ
た。ここにおいて茶を飲む=茶を味わう行為「喫茶」という言
葉が本来の意味と乖離するようになった!
 戦前では無作法であった食事中に茶を出すという行為が自然
にもなった。

 我々の祖先が大陸で出会った茶の中で、何故に緑茶を選んだ
のか。憶測ではあるが、この国の食文化に起因するだろう。当
時の日本人は4本足の動物を食べなかった。2本足まで(勿論
、ヒトではないのでご安心を)。主食は魚介類・鳥・木の実・
野菜・など。旨味成分を基礎の味覚として最初から持っていた
。だから、緑茶を選ぶのは至極自然に思う。当時、まだ紅茶は
存在していない。

 次項より、とうとう“深蒸し茶”の出現の理由に迫る。